父とバレーボール部

・こんにちは、スタッフの星野です。先月は母の日がありましたが、今月は父の日がやってきますね。子どもの頃は父が大好きで、他の家とは違い、残業が多かった母との時間より父との時間の方が多かったのに、今ではすっかり母優先になってしまい、父は誰より姉と私に愛情を注いでくれたのに、こんな扱いなんて父親ってかわいそうだな、と思ったりしています。姉なんて、母が家に居ることを確認してから遊びに行くんですよ。父の立場なしですよね。笑。
 
 そう言えば父は高校の時に一週間だけバレー部に入部していた話をバレーボールシューズを見ていて、ふと思い出しました。
当時はどんなバレーボールシューズがあったのか気になりますが、父からバレー部の話はあまり聞いたことがないのです。
父が高校1年の頃は戦後10年くらいですし、あったとしても高価だったんだろうなぁと思います。父もきっと運動靴程度で、バレーボールシューズは持っていなかったのではないかな、と想像してます。それに、1週間で辞めてしまいましたしね。笑。
  
 なぜ1週間で辞めたかという理由だけは聞いて覚えています。父は背が178cmと同世代の中では比較的高い方で、入部して球拾いの他はずっとブロッカーで手のみみず腫れがひどく、1週間で嫌になって辞めたそうです。(この話を聞いて私の忍耐のなさは父似だったと小さいながら認識しました。笑)
 父の母校は今も春高バレーの常連校ですが当時から強かったそうで、練習も相当辛いものだったと思いますが、もう少し頑張っていたら、もしかして今頃違う道を歩んでいたかも?なんてちょっと想像してしまいました。
  
 バレーボールシューズの歴史を調べてみると、日本では1950年代に第1号が発売されたようです。約70年の歴史がバレーボールシューズにはあるんですね。父が高校生の時には既に発売されていました。
 なぜ、父が最初バレー部に入部したのか、当時はみんなバレーボールシューズを履いていたのか、など今度実家に帰った時に聞いてみたいなと思っています。