「バレーボールシューズ」カテゴリーアーカイブ

想像を超えるバレーボールシューズの進化

・こんにちは、スタッフの星野です。先日ネットでバレーボールシューズの種類を調べていたら、私が憧れていたバレーボール元日本代表:中田久美さんがバレーボールシューズの大切さを語っている記事を見つけました。
 
私は小学4年生から6年生まで小学校のバレーボールクラブに所属していました。世界一のセッターと言われ当時もご活躍されていていた中田久美さんですが、小学生の私でもすごいと分かる魅了されるプレーと、とても美人なルックスで私は中田久美さんが大好きで私もあんな上手に球を操れたらなぁとよく思っていました。ではセッターに憧れていたかというとそうではなく、当時はやっぱりかっこよくアタックを打ち得点を決めるアタッカーに憧れていました。私はずっとバックセンターだったので結局セッターにもアタッカーにもなれませんでしたが(笑)
 
本題に戻りますが、記事ではセッター&リベロ専用のバレーボールシューズについて中田久美さんがお話しされていました。中田さんはポジションによって動きは当然異なり、その動きに対応するためアタッカーとセッター・リベロのシューズは分けたほうがよいと以前から思っていたそうです。セッター&リベロ専用のバレーボールシューズはポジションの特性を考えて、つまさきとかかとの靴底の厚さにもこだわっています。選手がプレーしやすいように考えて作られたバレーボールシューズ、中田さんは形状からも怪我の予防にもなると話されていました。
 
どのスポーツもシューズやユニフォームについてものすごく研究され日々進化していると思いますが、ポジション別のバレーボールシューズがあるってすごいことだと改めて感じています。中田さんも現役に戻ってぜひ履いてみたいと思ったそうですが、私もこの記事を読んで履いてみたくなりました。セッターはその人の裁量で試合の流れや結果、他の選手のプレーに与える影響が大きく、とてもやりがいのあるポジションだと思います。小学生の頃は目立つことがとにかくかっこいいと思っていたのですが、今はどのポジションもカッコイイと思うようになりました。
 
それにしてもバレーボールシューズの進化は想像を超えるものでした!

私の『バレーボールシューズ』の思い出

こんにちは、スタッフの星野です。この時期は春高バレーや高校サッカーなどがあり、高校生の一生懸命プレーする姿に心を打たれます。

私は小学4年生から小学校のバレーボールクラブに所属していました。いつも春高バレーを見ると当時のことを思い出します。特に私はバレーボールシューズを見ると両親の私への愛情を感じます。私の両親は共働きで忙しく練習も試合も見に来ることができませんでした。私の記憶では試合を見にきてもらえたのは1度で、たまたま自宅近くの体育館で試合があった時でした。当時は周りの子のご両親が毎回応援にかけつけているのに、私の両親は来ない、ととても悲しく、冷たい親だと両親に辛くあたったこともありました。

でも今思えば、私が履いていたアシックスのバレーボールシューズ入れは、母が手作りしてくれたものでした。母が私の好きそうな生地を選んで仕事や家事の合間を縫って作ってくれたものです。そして父は、いつも私のユニフォームにシワひとつないようアイロンをかけてくれていました。父はクリーニング店の息子だったので母より断然アイロンが上手いので、私の家ではアイロンがけは父の仕事でした。父は帰宅時間が遅く朝も早く出勤していたのですがきっと夜私が寝ている時間にアイロンがけしてくれていたんですね。忙しくて疲れているのに娘のために一生懸命だった両親の気持ちに当時は気づけませんでしたが今は両親にとても感謝しています。普段はあまり思い出すことがないのですが、春高バレーの中継でバレーボールシューズやユニフォームを見ると、幼かった自分と両親の私への愛情を感じる私です。