・こんにちは、スタッフの星野です。10月に入り秋らしい季節になりました。
私の自宅マンションからは正面に富士山が見えます。 前には高い遮る建物がなく山も海も見えてとても気に入っています。 特にお気に入りなのは目の前の芝生の広い公園です。
この公園、15年くらい前まで大きな体育館が建っていました。 以前このブログで私がバレーボールクラブに所属していてバレーボールシューズの思い出について書いたのですが、 その時に出てきた試合でよく訪れた体育館です。 体育館だったころは様々な人が試合や練習のために訪れていました。バレーボールシューズなどを持った学生さんやママさんバレーの人もよく目にしました。
いつのまにか体育館が取り壊され、今は、すっかりワンちゃんのお散歩コースやゲートボールを楽しむ人、そしてこの時期は幼稚園や保育園の運動会会場に代わる公園となっています。
緑が増え地域住民としてはとても嬉しいのですが私にはバレーボールシューズなどの思い出もある体育館だったのでベランダに出てたまにふと、そんなことを思い出した時は少し寂しく感じるときもあり不思議な感じです。
「バレーボールシューズ」カテゴリーアーカイブ
オリンピックとバレーボールシューズ
・こんにちは、スタッフの星野です。今日はすっかり肌寒く秋の気配です。
最近TVではフィギュアスケートやカーリングなどスポーツの話題、特にオリンピック競技の種目が注目を集めているように感じています。
オリンピックというとみなさんにとってどんなものでしょうか。オリンピックを目指している人には憧れの、また私のように観戦、応援する人には楽しみなものなど、それぞれだと思います。
みなさんは過去、夏、冬どの位の回数オリンピックが行われたかご存知ですか?
1986年のアテネオリンピックから夏季は31回、冬季は22回行われています。2020年東京五輪は32回目になるんですね!オリンピックの歴史とともに、スポーツ用品の歴史もまたあるんでしょうね。
私はバレーボールシューズの歴史が気になります。各国どんなバレーボールシューズが代表チームに選ばれているのか。またどういった基準で選ばれているのか。そしてバレーボールシューズメーカーで特に優れていると評価されているのはどこの国か、などなど。知らないことがたくさんありそうです。
バレーボールシューズの名前について
・こんにちは、スタッフの星野です。今日は少し肌寒いと感じるくらいの朝でしたが、夏真っ盛りのこの時期には過ごしやすい気温でちょっと得した気分になりました。
今日はミズノのバレーボールシューズをネットで見ていました。シューズメーカーのHPを見ていていつも思うのは各社趣向を凝らしていて、見ると色々な発見があってとても面白いということです。
私は見るメーカーさんが偏ってしまうこともあるのですが、今日は人気のバレーボールシューズというくくりで見ました。今日見ていて思ったのは、どのメーカーもシューズの名前が興味深いということ。例えばミズノだと、ウェーブハリケーンや、サンダーブレード、ロイヤルフェニックスなどいろいろあります。 他にも、例えばアシックスのバレーボールシューズだと、ゲルタスク、ゲルビヨンドなどのゲルシリーズ、バレーエリートなどなど。 まだまだ私は様々な知識が足りてないので、どうしてこういう名前のバレーボールシューズになったのか知らず、そして予想もできません。でも私は知らないからこそ、どういう名前の付け方をしているのか、とても興味があります。公式ホームページに理由が書いていないかな、とみているのですが見つけられず。きっとバレーボールシューズの名前の付け方には各社ルールもありそうですし、開発の歴史が反映しているとか、面白そうな理由や思い入れがあるに違いないと思います。 履く側も、このシリーズのバレーボールシューズが好き、とか自分に合っているとこだわる人も多いと思うので作っている側はさらにこだわっているはずですよね。 今度、問合せフォームなどでご担当者に質問してみようかな、なんてちょっと真面目に思っています。(笑)
そして、今日またHPを見ていて新しい気づきがありました。バレーボールシューズばかりに目がいきますが、「レフェリーシューズ」を見つけました。レフェリーの方専用のシューズがあるなんて!知らなかったー!! 知らない私はスタッフとしては不合格なのですが、新しいことを学べた喜びが大きく、これからも少しづつ知識を増やしていきたいな、とちょっと自分に甘く考えております。(^-^)
スポーツ選手も実践してる『イアンノット』
・こんにちは、スタッフの星野です。先週末に私は新しい靴を買いました。赤いシューズで靴紐は白、とシンプルですが靴紐のリボンが目立ちとても可愛く気に入っています。
靴紐といえば、 バレー部で履いていたバレーボールシューズの靴紐の結び方にはとても気を配っていたことを思い出します。練習の時はもちろん、特に試合の最中には絶対解けては困るので、私は先輩たちが実践していたリボンの輪をさらにもう一度二重で結ぶ方法を利用してバレーボールシューズの靴紐を結んでいました。
靴紐が解けやすいと、それだけで競技に集中できなくなりますし、怪我したら大変です。当時は知らなかったのですが、イアンノットという解けにくい靴紐の結び方があるんですね。スポーツ選手の方も実践しているそうです。私もネットで図や画像の解説を見ながら試して見ましたが簡単にできました。これはバレーボールシューズにも他のいろいろな靴にも活用できて役に立ちそう。もしご存知ない方は「イアンノット」でググって(Google検索)みてくださいね。
父とバレーボール部
・こんにちは、スタッフの星野です。先月は母の日がありましたが、今月は父の日がやってきますね。子どもの頃は父が大好きで、他の家とは違い、残業が多かった母との時間より父との時間の方が多かったのに、今ではすっかり母優先になってしまい、父は誰より姉と私に愛情を注いでくれたのに、こんな扱いなんて父親ってかわいそうだな、と思ったりしています。姉なんて、母が家に居ることを確認してから遊びに行くんですよ。父の立場なしですよね。笑。
そう言えば父は高校の時に一週間だけバレー部に入部していた話をバレーボールシューズを見ていて、ふと思い出しました。
当時はどんなバレーボールシューズがあったのか気になりますが、父からバレー部の話はあまり聞いたことがないのです。
父が高校1年の頃は戦後10年くらいですし、あったとしても高価だったんだろうなぁと思います。父もきっと運動靴程度で、バレーボールシューズは持っていなかったのではないかな、と想像してます。それに、1週間で辞めてしまいましたしね。笑。
なぜ1週間で辞めたかという理由だけは聞いて覚えています。父は背が178cmと同世代の中では比較的高い方で、入部して球拾いの他はずっとブロッカーで手のみみず腫れがひどく、1週間で嫌になって辞めたそうです。(この話を聞いて私の忍耐のなさは父似だったと小さいながら認識しました。笑)
父の母校は今も春高バレーの常連校ですが当時から強かったそうで、練習も相当辛いものだったと思いますが、もう少し頑張っていたら、もしかして今頃違う道を歩んでいたかも?なんてちょっと想像してしまいました。
バレーボールシューズの歴史を調べてみると、日本では1950年代に第1号が発売されたようです。約70年の歴史がバレーボールシューズにはあるんですね。父が高校生の時には既に発売されていました。
なぜ、父が最初バレー部に入部したのか、当時はみんなバレーボールシューズを履いていたのか、など今度実家に帰った時に聞いてみたいなと思っています。